柏原八幡宮本殿
創建当初の社殿は南北朝時代の貞和元年(1345)荻野安芸守が足利氏とこの地で戦い、その兵火によって焼失し、その後再建された社殿も戦国時代の天正7年(1579)織田信長の命をうけた明智光秀の丹波攻略の戦火により焼失し、その後天正10年(1582)羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は黒井城主堀尾毛介吉晴を普請奉行に任じて武運長久の祈願所として社殿造営を開始し、天正13年(1585)に再々建したのが現存する社殿 本殿は三間社流造、拝殿は入母屋造の両殿が接続した複合社殿で、正面には唐破風の向拝、屋根は総桧皮葺で、昭和の解体修理の際に発見された資料によると、再建以来改造が繰り返され、現存の社殿はこうした改造過程を経た姿であり日光東照宮の建築等にみられる「権現造」の先駆けとして建築史上非常に貴重な建造物。
現在令和の大修造で改修工事中(令和4年11月末竣功予定)
★国の重要文化財指定。
三重塔
摂社 厄除神社
鐘楼・銅鐘
摂社 五社稲荷神社
五社稲荷神社は柏原八幡宮の摂社で社伝によれば柏原八幡宮創建の万寿元年(1024)に京都の伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の御分霊を勧請し、五穀豊穣の神・生業守護の神として同地に祀ったのが起源とされています。
現在の社殿は宝暦6年(1756)に柏原藩三代藩主織田信旧候の寄進によって再建された建物で、社殿の構造形式は正面(梁間)三間、側面(桁行)三間の入母屋造りで正面に千鳥波風、向拝に軒唐破風をつけ、各棟には千木、勝男木を乗せる。
また当地柏原の彫刻師中井言次君音の手による向拝の龍、兎の毛通しの鳳凰など軒廻りに多くの彫刻で装飾されています。平成24年に屋根葺き替え・修復工事により美しい姿に生まれ変わりました。
近世神社建築史上、貴重な建物であり兵庫県指定文化財に指定